休職することになりました(2020)

前回が1/10でしたので、約1カ月ぶりの更新です。
1月下旬から、休職しています。
何とか頑張って仕事に出よう、と抗っておりましたし、休む決断もできないでおりましたが、産業医面談で休むべき(勧告)→翌日の主治医より、診断書を書くので決して死なないように。と言われるほどの状態だったようです。




診断書はクリニックから自分で持ち帰り、上司へ届ける必要がありました。いったん休職する診断書をもらったことを上司にメッセンジャーで報告して、プロジェクトルームへどんな顔して入っていけばよいのかと、だいぶ扉を開けられないでおりましたが…高い敷居を乗り越えて、渡しました。

その際上司が
今までの(過去の)休職と比べてどうなのか。という質問をしてきました。
私は、家族と離れ、毎日孤独で相談する相手もいないのは辛い。という内容の回答をしました。
上司は、単身赴任であることもすっかり忘れておられる様子でした。
出張ベースでプロジェクトに参加すると、棚に上がる経費が高くなるから、異動してきてからでないと困ると仰ったのはあなたなのですが。

この時、この上司は、プロジェクトのための人員管理(特にリスクマネジメント)だけをする人で、ひと・仲間という意識はない人なんだな、と改めて思いました。この方のやり方の問題は、気が向いたら別なエントリーで書きたいと思います。

晴れて(とりあえずは)20日ある積立休暇(私の会社の場合、傷病や家族看護、ボランティアや不妊治療などに使える、年5日積立で最大20日まで貯まる)を使い、休めることになりました。翌日からは溜まっていた洗濯物を片付け、洗い物も片付け、溜まっていた録画もの(別に観なきゃいけないつもりで録画しているわけじゃない、ガイアの夜明けとか、カンブリア宮殿とか、あとNFLの試合)を片付けたりしていました。
次回の病院予約が翌週だったので、自宅に帰るのは翌週の病院の後、と思っていましたので、1週間の余暇、時間はあるから食費節約に多少の料理もしようか、とスーパーからキャベツや焼きそばを買ってきたりしていましたが、自分で自分のためだけに作る料理って、ほんと味も素っ気もなくて、不味いものでした。何とか次回通院までの1週間、一人孤独に引きこもって暮らしていましたが、テレビもゲームも面白くない、出かける気にもならない、食事も美味しくない、酒も酔えない、という、仕事休めて楽なはずなのに、つらい1週間でした。

気分が晴れなかったのには、もう1つ理由があります。例の上司から、毎日状況をLINEで1文送ってくださいというメッセージが届いていたからです。いや、あなたのその管理下から少し距離を置きたくているのに、それはないでしょう…。これは翌週の産業医面談で分かったことですが、生存確認の義務があるんでしょうかね。
その休職後の産業医面談では、上司との3者面談となり、東京で入院するか、自宅に帰るか、孤独状況が解消できればその報告の必要はないことを聞き、自宅に帰りたい旨伝えておきました。

翌日のクリニックでの診察がありましたが、2~3週間おきに自宅から通うものだと覚悟して高速バスとか調べていました。しかし、仙台の医療機関への診療情報提供書が出て、もう来なくていい感じの診察となりました。なるほど、通う必要はないんだな、と帰りながら考えていましたが、なんか主治医から見放された気持ちもあり、複雑な心境でした。自殺リスクのある患者は早いとこ自分の手から離したいんだぁ、とか余計な事考えてましたね…。

帰宅後、自宅に帰る準備を始めますが、当初2週間後くらいに戻ってくる想定が、復職するころまで戻らないことになってしまい、戸惑いました。前々週、東京に持ってきたロードバイクは置いていくべきか、持って帰るかとか、冷蔵庫の中身とか、処分しなくてはならないのか? ブレーカーも落としていくべき? 着替え? 荷物? 美味しくもない料理を作ってみたり、捨ててみたり、かなり追い込まれた心境で荷物まとめるのもひどく疲れた夜でした。

翌日、ブレーカーを落として、自転車を部屋に残し、新幹線で帰ってきました。


駅まで妻が迎えに来てくれた車に乗った瞬間、号泣しました。

ほっとした気持ち
悔しい気持ち
やるせない気持ち

いつまで、休めば良くなるのだろう…(単身赴任している以上、改善される気がしないけど…)

つづく

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