休職の危機2020

こんばんは。Takum!です。
東京に単身赴任をはじめ、サブロクキョーテーとかいう3カ月240時間(企業によって異なるらしいが、弊社は研究開発職とかになると年間720時間まで解放されてしまう)というリミットギリギリに生きてきました。
そんな限界ギリギリな生活が始まり、いつの間にか病んでしまった話を書いてみようと思います。





6月末くらいに、プロジェクト応援として参加した現在のプロジェクト。当時はまだ仙台から通いでしたし、あくまで「応援」という立場でしたが、それなりに難度の高いPGをこなす充実感を感じていました。応援が始まって1~2か月経ったかどうかという頃、突然見知らぬ事務方から、本部長との面談の日程を入れられました。そのメールのCCに、応援先の事業部長。これはただならぬ事態でした。即、上司に状況を確認したところ、上司すら知らない事態。結局は応援先からの引き抜きというか異動を求められていたことを後に知るわけですが、このようにネゴなしに立ち振る舞うのが応援先、すなわち現所属のやり方だったのです。

当時の上司からは、今後のDeveloperの仕事の確保について補償もできないし、相手側への心象が、異動を保留してしまうことで悪くなってしまうこともあると諭され、結局異動を決意(と共に、単身赴任生活を受け入れ)することになりました。

そして私と妻の結婚記念日に引っ越しを済ませた私に、某部長から「特別採用」というタスクを与えられました。何が特別なのかって、他のタスクで全員余裕がないため着手を遅らせたサブシステムが特別扱いされ開発工程から遅れること2カ月余、他のサブシステムがITを始めたころ、PGが始まりました。体制は、今までWeb-APIしか開発していなかった私が画面系、のちにJava1.3レベルのスキルしか持っていなかった某氏、のちに他のプロジェクトへ異動が決まっていた某氏の臨時応援、そして某中国系のBPさん。遅れて良いサブシステムの割に、他がSTに入る時点でSTに合流しなければならない超ハードスケジュールのなか、人材不足なチームがスタートしたのでした。

今だから分かるし、言えることですが、遅れているチームを初心者軍団にやらせること自体が無理あること。ましてメンバーがそれなりだったということもあり、進捗は遅れに遅れ、体裁的にSTに合流しつつも、内部ではITというかPTをIT環境でやっている有様。さらに毒を吐くとすれば、遅れに遅れたJava1.3の某氏は毎日の昼食に二郎系を召し上がっておられ、午後はその匂い消しにミントタブレットを豪快に召し上がっておられたので、ミントとニンニクのあいまった匂いに苦しんでいたのは口外できない被害。出来上がっていたと思っていたPGはIF文のネストが10階層にも及ぶ超傑作であり、OTが始まったころに作り直しを余儀なくされていました。

というところで、愚痴にしかならない気もしてきており、現状の報告だけしておこうと思います。

年を越して、Java1.3からJava8になったPGは目途が見えている。が、PTするとやはりボロが出ている。その現状は公になっておらず、わが身にのしかかっている。12月初頭からクスリの調整が入り、離脱症状に苦しんでいる。結局ベンゾジアゼピンの離脱はできないでいる。年末年始、自宅および実家に帰るが離脱症状のイライラなどで全然休めてない。イライラ解消のために過食気味。夜になって観るテレビやニュースに号泣する。津久井の障碍者施設の事件のニュースが今日流れていたが、他人事とは思えない。見てられない。

一昨日、昨日と、周囲の声、ノイズがひどすぎて仕事ができていない。HSPってワードを思い出す。でもこれってクスリとかでコントロールできない。そんだけ疲弊していることがわかった。産業医面談。休めって言われる。でも休める気がしない。もう死ぬしかない気がしてる。

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