再度のリワーク、そして復職へ…

 Takumiです。

しばらく自身の休職状況について、投稿しないでおりましたが、ようやく動きが出てきたので報告しておこうと思います。

再度の休職入りとなったのは、昨年の10月のことでした。

毎日24時頃まで仕事をして、風呂入って酒のんで寝て、9時前から仕事を始める…そんな生活が続いていました。そんな中、昼食中に、食欲もなく、食べることができず、泣き出してしまった… 主治医の前での泣いてしまった… 自宅療養3ヶ月の診断書。そこから休職が始まりました。


運の悪いことに、人事異動により、担当の保健師も、産業医も変わって、誰も知らない中での休職入り。

症状はおよそ1ヶ月ほどで軽くなり、生活レベルは最低限度の人間らしさを取り戻したのが11月。

12月になり、まずは運動不足を解消するため、Zwiftにサブスクライブして、自転車ローラーを始めました。

コロナ正月なので実家帰省もなく、1月に休職から3ヶ月、診断書の更新のために上司にコンタクト。これがちょっと重かった。まずは延長3ヶ月。

3月には福島の温泉までプチ旅行をしてだいぶ気持ちも復活していました。仕事リズムを意識して、毎日昼の時間はデスクワークするようにしていました。

4月に入って、「復職したい」と上司に連絡を取りますが、応答がなく、診断書の休職期間が切れてしまうため再度、診断書を更新。この際に「診断書の件で上司にコンタクトするのが気持ち的に重い」ことを主治医に伝えると、診断書を6ヶ月にしましょうか、となりました。

上司からの返信もない中、保健師に復職に向けてどうしたら良いか、相談してみました。すると、ようやく産業医との面談の場を設けてもらえました。

産業医面談は5月になってからでした。休職入りしたときに初めてオンラインで面談した産業医、保健師、上司とのオンライン面談。復職したい旨を伝えますが、上司は私に向かって「とても元気そうに見えない」と言い放ちました。もともと活発元気満杯な顔をしていない私ですが、メモを取る位置が低かったからでしょうかね、伏し目がちに見えたのかもしれません。いずれにせよ、この時点で上司に対する不信感は最高潮に達しました。

この面談の前に主治医からリワークなどで外部とのコミュニケーションストレスに対峙するのはどうか、と提案があったのもあり、産業医面談ではリワークも検討、ということになりました。復職はまだまだ先の話になりました。ちなみに、この時にようやく、休職関係の資料を上司から受け取ることができました。生活リズム表の存在も、ここで知ることになりました。3月からつけていれば、生活リズムが整っていることは証明できたのに!

こうして、復職するにはリワークを受けていく遠回りの道を確実に進む必要が生まれてきました。

リワークを実施している施設はいくつかありましたが、たいていが有料、収入額に応じて利用金額が異なるようでしたが、月3万いくらの利用料、ただでさえ税金や厚生年金など、毎月会社に10万以上振り込む生活ですので、これ以上の負担は負いたくありません。ここは以前(かれこれ9年も前の話になりますが)にも利用したことのあった、県の障害者職業センターに再度通うことを検討しました。ちなみに、こちらは厚生労働省の機関で、利用料はかかりません。

ちょうど説明会が翌週にあり、電話を入れたところ、以前にも担当されていた方とお話することができました。説明会に参加し、カウンセラーさんと面談を行い、リワークへ通いはじめるのが6月。

リワークのプログラムはだいたい4ヶ月になります。

1ヶ月目は、コーディネート期間(職業センター、病院、企業間の契約期間)として、利用者は体験通所という形になります。適性テストや、事務作業体験(電卓叩いたり、カタログから納品書作ったり)を行ったり、読書をします。

2ヶ月目は、正式にプログラム参加となり、最初はストレス対処講座を受けることになります。ストレスってこんなもの、とか、うつ病って、とかから始まり、気分、考え方のクセ、など認知行動療法を学んでいきます。グループワークとして、他の利用者と話し合うこともあります。

3ヶ月目は、キャリア講座に移り、これまでの人生を振り返ったり、自分の役割、キャリア・アンカー、モチベーションについて考える時期となります。自分はもう48歳でしたので、今後の人生について、改めて振り返って考える良い機会となりました。

4ヶ月目は、会社へのリワークの報告の資料を作成する期間となります。自分は3ヶ月目の終わりに産業医と上司に対して、中間報告を行っており、最終報告についてはあまり時間をかけずに済みましたので、マインドマップを描いたり、読書したり、という時間になりました。

ちなみに、リワークの場では、個人所有のPC等を持ち込むことができません。個人情報の保護のため、とのことです(PCのカメラ等、だったらスマホもじゃん?って思いますけどね)。なので、PCは借りる必要がありますし、作成したデータはUSBに保管して預け、退所時にはCD-Rに焼いてくれるそうです。私は、オンラインで面談などをする都合、自宅ワーク時に面談資料を作成しました。

こんな感じのリワークに6月~9月まで通い、9月末に、リワークの最終報告を行いました。

自分はこの最終報告で、すぐ復職プロセスに入れると思っていましたが、そうではありませんでした。まずは主治医から意見書(会社フォーマット)を書いてもらい、復職面談を、現所属のある、神奈川県川崎市のビルにて行うので来てください、旅費は会社から出ません。とのこと!! もうこうなったら仕方ありません、朝高速バスで行って面談して高速バスで帰る強行軍も検討しつつ、日程調整していました。

そんな中、全国旅行支援なんてワードが出てきて、結局、新幹線往復でホテル一泊という立派な旅行気分で、復職面談を終えました。翌日から、通勤訓練です。と言っても、リモート勤務に通勤はありませんので、朝と夕に、勤務開始、終了を上司にLINEで送るという、なんとも間の抜けた訓練期間を2週間行います(いまここ)。

来週には再度の復職面談をリモートでおこない、ようやっと1年ぶりの仕事復帰となる予定です。

復職したい、という気持ちが生まれてから、ものすごい時間が経ちましたが(迂回、半年)、リワークに行った4ヶ月はそれなりに活動的だったし、終わる頃にはだいぶ自分に自信を持てるようになったと思います。人それぞれかと思いますが、休職し復職を考えている方にはリワークはぜひオススメしたいと思います。

こうやって、しばらく更新していなかったブログも書き始めるようになったのも、リワークのおかげかも知れません。(実際は、通勤訓練中の暇を消化するためになってますがw)

今日はここまで。

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